今と昔ではお仏壇の御供えも様変わりした?
一定のルールはあるものの故人の好きなものもOK?
お仏壇に御供えするものは、古来より相場が決まっていました。
しかし、価値観が多様化した現代においては、仏教的価値観よりも故人の意向を尊重するご家庭が増えてきています。
仏壇店や仏具店でも、実際に故人の好きなものという仏具が置かれているところも少しずつですが増えてきています。
今回は、そんなお仏壇の御供えに焦点を当てて、過去・現代の傾向を対比しつつ、仏壇への御供えをどう選ぶべきかについて紹介してみたいと思います。
もともと御供えが持っていた意味について
そもそも、御供えという習慣が持っていた本来の意味には、どのようなものがあるのでしょうか。
以下に詳細を紹介してみたいと思います。
基本となる「五供(ごく)」の概念
お仏壇への御供えについて考えたとき、基本的な概念となるのが「五供(ごく)」です。
これは、御仏・ご先祖様に御供えする物品の種類を示す言葉にあたります。
多くのご家庭では当たり前に行っている毎日の御供えも、仏教的には重要な意味を持っているのです。
香
香というのは、朝のお勤めで焚くお線香のことを指しています。
「さわやかな一日のスタートは、毎朝のお線香から」などというキャッチコピーを見かけた方もいるかもしれません。
それはすなわち、朝のお勤めの風景を描写しているのです。
古来より、良い香りは心身を浄化する役割があるものと言い伝えられており、実際に線香の香りは心を落ち着けてくれるものです。
また、御仏・ご先祖様は香りを召し上がるとも言われ、良質の香木が手に入りにくかった時代には特に重宝されていました。
花
お仏壇の両脇などに御供えしているお花を指します。
よく仏花として用いられているのが「菊の花」ですが、特段菊でなければならないという決まりごとはありません。
四季折々の旬の花であったり、故人が好きだった花を添えることが、何より心の慰みになるものと考えられています。
花もまた、御仏の心を表現しているものの一つとして語られることが多く、時には遺族の心をも慰めてくれます。
灯燭(とうしょく)
灯明・蝋燭(ロウソク)それぞれの漢字一文字を取ってこう呼ばれます。
灯明自体が御仏の智慧を示しているものと考えられています。
比叡山の灯火を絶やさないようにという意味が込められた、現代でも使われる「油断」という言葉の由来にもなったほどに、仏教世界で灯明は重宝されているのです。
また、ロウソクには大小さまざまの形状があります。
これら一つひとつがそれぞれの命を燃やすことから、現世を生きる人々によく例えらえてきた仏具です。
ロウソクの残量で寿命をはかるという「命のロウソク」などの昔話は、そんな時代の名残と言えるでしょう。
浄水
古来より、水には邪気を払う力、汚れを洗い清める働きがあるものとされてきました。
消毒という概念がなかった時代から、きれいな水が持つ効能は語り継がれてきたのです。
また、よく水はご先祖様・御仏に捧げるものとして捉えられていますが、このあたりは宗派や考え方によります。
例えば浄土真宗では水を死者の弔いに用いませんし、そもそも水は現世に住まう人間の心を清め、ご先祖様・御仏と向き合うために用いるものとする考え方もあります。
飲食(おんじき)
お仏飯(ぶっぱん)などとも呼ばれ、炊き立てのご飯を御供えします。
かつてはご飯だけでなく、誰かから頂き物をした場合は、まずお仏壇や神棚に御供えしたものでした。
現代でも、殊勝なご家庭はそのような習慣を残していると思います。
これは、御仏やご先祖様のおかげで今があることに感謝する習慣であり、決して祈念のために御供えするわけではありません。
供養という言葉に込められた意味
御供えと似たような意味で「ご供養」という言葉が使われることがあります。
一般的に知られている意味は、死者の霊に対して御供え物をし、亡くなった方の冥福を祈ることだと思います。
より詳しく述べると、供養の「供」とはお花・ロウソクを捧げること、「養」とはお仏飯や果物を捧げることを指しています。
さらに言えば、供という漢字を「人」と「共」とに分けると、自他一如(じたいちにょ)という概念につながっていきます。
要するに、供養とは御供えを通してご先祖様・御仏の存在を感じるために行う行為と言えるのです。
御仏・ご先祖様とつながるためにこそ御供えをする
供養が持つ本質的な意味に沿って考えると、供養をすることによって「御仏・ご先祖様」と心身ともにつながることが、御供えをする目的と言えます。
それは御仏・ご先祖様のためでもあり、自分のためでもあります。
このような考え方から、お仏壇を通して見えないものへの敬意・感謝を示す習慣が生まれ、現代にまで連綿と続いているのです。
現代における御供えの意味合い
先に述べた通り、御供えをすることにはれっきとした意味がありました。
それは御仏・ご先祖様に向けての感謝が根底にあったわけですが、現代においてはややその傾向に変化が見られるようです。
御仏への礼拝よりも、故人をしのぶ思いが強くなってきている
現代において、宗教という概念は必ずしも尊重されるとは限らなくなりました。
それは、仏教においても同様です。
お仏壇一つとっても、御仏に対する礼拝の意味よりも、亡くなった故人をしのぶ気持ちの方が尊重されるようになり、それに伴い仏壇・仏具のデザインも変化してきました。
御本尊を置かず、写真立てだけで構成されたお仏壇のように、自分にとって親しかった人をこそ偲ぶという習慣が広まりつつあるのです。
大きなお仏壇自体が無い場合は、月命日であってもお坊さんを呼ばないケースは珍しくない
自宅に大型のお仏壇を安置しているご家庭は、亡くなった家族の月命日ごと・毎月・半年など期間を決めて、お坊さんを自宅に呼んで供養してもらう習慣があるところも多いようです。
特に地方では、お寺が近くにあることもあって、昔からの習慣がずっと続いている地域もあります。
しかし、新しいデザインのお仏壇を安置しているご家庭は、仮に故人の命日になってもお坊さんを呼ばずに、自分たちだけで供養するというケースも珍しくなくなってきました。
供養という概念にも、各家庭によって温度差が生まれているのが分かります。
神仏御供え用として「故人の好物」シリーズのようなロウソクも
供養の概念に変化が生まれているのと同様、御供えについても個々人の考え方に変化が生じてきています。
代表的な例の一つに、現代の仏具に見られる「故人の好物」をかたどった線香・ロウソクがあります。
故人が好きだったメニューの食べ物を線香やロウソクにすることで、火を焚いて気持ちを伝えようというわけです。
もともと、死者は食べ物を食べることはできないため、香りや色・気持ちを食べるものと言い伝えられてきました。
しかし、現代的な感性を持つ人々なら、正直それが本当かどうか疑わしいと考えても不思議ではありません。
また、御供えを用意する側はもちろん、される側も負担を感じてしまうというケースは昔からありました。
なぜなら、結局美味しい食べ物を御供えしたとしても、それを最終的に処理するのは家族であったり親類であったりするからです。
そのような事情から、自分が伝えられる気持ちを具体化できて、なおかつ実生活に影響が出ないように(もらった物を腐らせないなど)配慮する人が増えてきています。
「千の風になって」という歌があるように、現代において故人がお墓・お仏壇にいるという価値観が薄れていることも、背景の一つとして考えられそうです。
結局、どのような御供えをするのが正解なのか
御供えの考え方は、かつての日本に広まっていた精神性を継承しつつも、現代にマッチした方向性に軌道が変わっています。
そのような背景がある中では、結局のところ、どのような御供えをするのが正解なのでしょうか。
ルールはあるものの、適用は柔軟で構わない
御供えが、ご先祖様も含めて「故人と精神的につながる」ためのものだと理解した場合、必ずしも四角四面に過去のルールをなぞる必要はありません。
確かに、先にご説明した「五供」のように、仏教的な概念は背景にあってのお仏壇ではあるのですが、大切なことは故人を想う気持ちであって、形式ではないのです。
お釈迦様が原始仏教において偶像崇拝を否定していることからも分かる通り、大切なのは心のありようです。
よって、ルールはルールとして理解しつつも、その適用については柔軟に考えて差し支えないでしょう。
親戚の集まりに持って行くなら、形式にとらわれず故人の好物を持って行くのもよい
仮に、親戚が集まる中に御供えを持って行くのなら、誰も食べないであろう果物・お菓子を持って行くよりも、故人が好きで家族も食べていたものを持って行った方が、かえって気が利いていると思われるものです。
地域やご家庭によっては、特段御供えなどは用意せず(親族にも持って来させず)、お寿司やオードブルを大人たちが割り勘で頼んで食べるといった習慣も見られます。
故人がタバコを吸っていたとしても、故人以外に吸う人がいないなら宝の持ち腐れになってしまいますし、お酒が好きだったとしても家族が飲まないなら、結局ご近所にあげたり職場に振舞ったりということになるでしょう。
結局手間が増えてしまうなら、極力お仏壇のある家族にとって負担にならない方法を考えなければなりません。
先祖は子孫の喜ぶ顔が見たいはず
かつて、お仏壇などで悪徳商法が流行っていたり、一部占い師が脅しをかけるようにお墓などを購入させたりしていたケースでは、まるで流行り言葉のように言われていた文句があります。
- ご先祖様が怒る
- 先祖の祟り
- おじいちゃんが泣いているよ
概ねこのような言葉ですが、顧客が見えないことを良いことに、あること無いことを言って不安感をあおるという、冷静に考えてみれば非常にナンセンスなセールストークを展開していました。
しかし、仮にあなたが死んでしまったとして、もはや肉体を持たない立場で残された家族を見たとしたら、おそらく家族が幸せに暮らせるよう自分にできることは何かを考えるのではないでしょうか。
逆に、死んだあなたに会ったこともないような業者や占い師が言うことを家族が信じていたとしたら、そちらの方が悲しく感じるはずです。
ご先祖様も同じで、基本的には子孫が笑顔でいることを望んでいるのです。
だからこそ、自分たちもご先祖様も幸せになれるような御供えの形を考えることが、これからの時代には求められることでしょう。
おわりに
お仏壇の御供えを考えるとき、例えば葬儀の後ならお供物のようなものを連想してしまいがちですが、贈られた側が本当に必要としているものかどうかを考えて御供えを購入するのは意外と難しいものです。
故人がコーヒーをよく飲みその家族もコーヒー好きなのに、「お供物といえばお茶や果物」と考えて盲目的に選んでいるというケースも、決して珍しいことではありません。
また、法事の席でも言えることですが、ビールやタバコなどのように、結局持ってきた人しか嗜まないものを用意するというのも、故人の趣味だからといって買い揃えるのは違うように思われます。
これからの時代は、老若男女問わず好まれるものを、参加者全員が楽しめるという視点で用意することが大切なのかもしれません。
親族が集まる場というのは、どこか和気あいあいとして楽しいものです。
その風景こそが、ご先祖様にとっては何よりも嬉しいものではないでしょうか。
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